コロンナ・ギャラリーを出て橋を渡られた皆様の目の前には、18世紀以来一族が行ってきた数々の整備によって現在の景観にいたった広大な庭園が広がります。

中世の頃クゥイリナーレ丘の斜面は戦略上明確な重要性を持っており、それが故にコロンナ家は要塞の役割もはたす一門の最初の住居を、現在の宮殿とその庭園にあたる区域に定めました。

古来よりこの敷地には、3世紀頃の『太陽の神殿』とか『セラーピスの神殿』と呼ばれていた壮大な神殿の遺跡が残っており、それは後の研究でヘラクレスとティオニュソスに捧げられた『セプティミウス・セウェルスの神殿』だったと判断されました。

1710年頃フィリッポ・コロンナ2世(1663 – 1714)は建築家アレッサンドロ・スペッキに、宮殿から庭園と3つの彫刻のある小礼拝堂を繋ぐ橋をかけさせました。

3体の彫像のうち中央のものは、レパントの海戦(1517)の勝利者マルカントニオ・コロンナで、両側はそれぞれファブリツィオとプロスペーロ・コロンナです。

見学コースはピロッタ通りに沿って進んで行きます。背景には当庭園の西端に1930年に建てられた教皇庁立グレゴリアーナ大学を見る事ができます。  マグノリアの木々、ツゲの小さな生け垣、さらには月桂樹やトベラ、トキワガシやツゲの木からなるイタリア風の高い垣根、トベラや多肉植物類やツゲの鉢等が進行路を縁取っています。

かつてアスカニオ・コロンナ枢機卿(1560 – 1608)は、丘陵部の庭園の上部へと続く2つの階段の中央に、テラス化整備と巧みに水を使った大きなニンフェウムの建築を推進しました。建築家ジロラモ・ライナルディのプロジェクトを監督したのはフィリッポ・コロンナ1世(1578 – 1639)で、ペペリーノ石の階段のバラスターには、その妻のルクレツィア・トマチェッリ(1576 – 1622)の家紋が刻まれています。

さらに古代彫刻や柑橘類の鉢が飾りたてる滝。

20世紀後半に施されたそのモザイクの装飾は、建築家トンマーソ・ブッツィのデザインでメディチ社によって完成されました。 庭園最上部の最初と2番目の傾斜路にある3つの古代ローマの石棺(3世紀)を見ながら最上部へと至ると、そこからは永遠の都ローマの中心地の壮麗な眺めが楽しめます。そして庭の片隅には、前述のセウェルスの神殿(3世紀)の2つの大きな破片が静かに佇んでいます。 幾世紀にも渡ってコロンナ庭園はペトラルカやミケランジェロ、ベルニーニらの巨匠達の描写によって紹介されてきました。

コロンナ家の庭園及び宮殿の歴史に関するさらなる情報は『コロンナ宮殿訪問』や『コロンナ宮殿=各時代の情景』等の書籍をご参照下さい。

  • ローマ、デッラ・ピロッタ通り17番のブックショップにて、毎週土曜日9:00〜13:15。
  • ローマ、サンティ・アポストリ広場66番のオフィスにて、月曜日から金曜日9:00〜13:30と14:30〜18:00。
  • 又リクエストによる郵送も可能です。電話:+39 06 6784350 、メール:info@galleriacolonna.it